「主」


「うわぁぁ!?」


「……いかがなされた?」


「い、いや、なんでも……」


「はぁ……」


ここ最近。


「主、一献いかがか」


「……一応聞くけど、肴は?」


「無論、メンマですが?」


「……すまん。 飲みたいのは山々なんだが今日はまだ仕事が残っててな……」


「……ふむ」


様子のおかしい主に、星は首を傾げていた。


『月夜と酒と──』



その日も、彼女たちの主、一刀はおかしかった。


「ご主人様、聞いていますかっ!?」


「!? あ、ああ、もちろんじゃないか」


愛紗の一喝に、一刀は咄嗟に返事を返す。
だが。


「ほう。では、いま話し合った問題について、ご主人様のご意見をお聞きしたい」


「うっ……」


目を閉じ意識を飛ばしていた、つまり寝ていた者に答える術があるはずはなく。
言葉に詰まる一刀に愛紗ははあ、とさきほどとは一転、自責の念が篭ったため息をつく。


「お疲れなのは理解していますが、ご主人様に判断を委ねねば済まぬことが多いもので……」


「あー……、うん、わかってる。すまなかった」


己が主に無理を強いることに沈痛な表情を浮かべる愛紗に気付いた一刀は笑顔を向けるが、目の下にははっきりとわかるほどの隈と、そして顔全体には疲労の色が染み付いている。


「あ、あのっ、それなら今日はせめて特に重要な案件だけにして、ご主人様には少しでも休んでいただきませんか?」


「そうねぇ。それにどの道、いまのご主人様じゃ長くは聞いていられないでしょうし」


「……面目次第もございません」


見るに見かね助け舟を出す朱里と紫苑に一刀は頭を下げる。


「いいえ。無理をなされてお体を壊されてしまっては元も子もありませんわ。愛紗ちゃんもそれでいいかしら?」


「鈴々はさんせーなのだ!」


「あたしも賛成ー」


「お前たちは早く軍議から逃げ出したいだけだろう」


「ぶー、そんなことないのだ! ねー、翠」


「なー」


暢気に賛成を告げる鈴々と翠に愛紗は冷ややかな目を向けるが、気にした様子もなく顔を合わせて再び暢気な声を上げるお気楽二人組。


「はあ……、もういい」


その様子に愛紗は呆れたように嘆息した後、表情を改めて玉座へと視線を戻す。


「ご主人様、朱里と紫苑の言うように出来るだけ早く終わらせますのでよろしくお願いします」


「ああ、迷惑かけてすまん」


「いえ。それではこの案件だが──」


しかし、彼女達の気遣いも虚しく。


「……ぐぅ」


十分後、彼女たちの主は再び眠りの世界へと身を投じていた。


「はあ……」


「……ふむ」


愛紗が三度ため息をもらす中、静観していた星は考え込むように小さくそう呟く。
──結局、その日軍議はそれ以上進むことなく終了となった。






「一体どうしたというのだ、ご主人様は」


一刀が玉座の間を後にすると、愛紗が独り言とも疑問とも付かぬ台詞で切り出した。


「にゃ? 何がなのだ?」


「見てわからないのか? いつもご主人様は真面目……とは言えないが、少なくとも軍議の間に居眠りをするようなことはなかったはずだ」


「確かにそうですね……」


首を傾げる鈴々に愛紗が言葉を選びながら説明すると、横で聞いていた朱里も顎に手を置いて考え込みながらそれに同意する。


「仕事が溜まってるんじゃねーか?」


「その可能性は否定できんが……」


一番妥当な意見を口にする翠に、しかし愛紗は納得いかないようで、曖昧な返事を返す。


「それじゃーなんだっていうんだよ?」


「だからそれを今考えているのだろう!」


己が主のこととなると途端に冷静でなくなる愛紗だが、さすがに慣れたもので、ひゃー、おっかねー、とぼやく翠の口調は軽い。
とはいえ、主を気遣う愛情はそれぞれ持ち合わせており、その不調の原因を考えるべく、うーんと額を付き合わせる。
と、


「あ、わかったのだ!」


鈴々が明るい表情で顔を上げた。


「なにっ!? 一体何が原因だというのだ!?」


「それはねー」


皆の注目を一身に浴びて、鈴々は無邪気に微笑みながら口を開く。


「愛紗の料理を食べすぎちゃったせいなのだ!」


「なっ───!?」


思いもよらない指摘に絶句も一瞬、愛紗は怒号を上げようとして、


「愛紗〜」


「愛紗さん……」


「──そ、そんなことあるはずがないだろう!」


翠と朱里の非難の目に晒され再び一瞬口を噤み、そしてすぐさま鈴々の仮説を否定する。


「えー、でも愛紗、自分で自分の料理食べて失神してたのだ」


「あ、ああああれは昔の話だ!それに料理だってご主人様に美味しいといってもらっている!」


いつぞやの出来事を引き合いに出された愛紗は慌てて再度否定する。
が、


「ふーん、愛紗はそんなことしてたんだ」


「愛紗さん、ずるいです……」


「あらあら、愛紗ちゃんったら」


「と、ともかく私の料理は無関係だ!最近は作っている暇もないほど忙しいのだからな!」


ジト目を向ける翠と朱里、子供を見守る親のような目をする紫苑にこれ以上の言い訳は形勢不利と判断してか、これで終わりだ、と言わんばかりに机を叩く。


「んー、でもそうすると何が原因なのだ?」


そして話は巻き戻る。
再び額を付き合わせていると、


「あっ!?」


今度は翠が顔を上げた。


「どうした、何かわかったのか?」


「い、いや、なんでもない。なんでもないぞ」


顔を朱色に染めブンブンと首を振る翠に、愛紗は眉を寄せる。


「なんだというのだ、自ら声を上げておいて。何か気付いたのなら言えばいいだろう」


「そーなのだー」


「で、でも……」


弱弱しい声でそれでも躊躇う翠だったが、周囲からの視線に負け、ようやく小さく呟く。


「……あれ、なんじゃないのか?」


「あれってなんなのだ?」


「だから、あれだよ」


「あれではわからん。はっきり言ったらどうだ」


「〜〜〜〜〜っ、だからあれだよ!」


赤かった顔をさらに赤くして怒鳴る翠の言い草に、各々疑問を感じ思考をめぐらす。
そしてほどなく、翠の赤面の理由にいきついたのか、


「は、はわわ……」


「にゃははは」


「………」


お決まりの台詞を口にする朱里に、頬を赤くしながらも照れた様子もなく天真爛漫な笑み。
愛紗は無言を貫くが、しかしその顔はやはり朱色。


「あー……、で、……どうなんだよ?」


言い出した手前聞かないわけにもいかず、各々が脳裏にその情景を思い描いているのを確認し平静を取り戻した翠が訊ねる。


「えーとね、最近は全然なのだ」


「………」


さすがに赤裸々に言うのは恥ずかしいのだろう、鈴々以外は言い淀み、しかしそれぞれ小さく頷く。


「はいはい、ここまでにしましょう」


その場を微妙な空気が支配する中、紫苑は微かに苦笑を織り交ぜながらパンパン、と手を打つ。


「こんなところで考えていても答えは出てこないわ。それより少しでもご主人様がお休みになれるよう仕事をしたほうがいいんじゃないかしら?」


「紫苑の言うとおりだな」


「う、うむ。その通りだ」


紫苑の尤もな意見に静観に回っていた星、続いて顔を赤らめていた愛紗も頷く。


「さあさあ、それじゃみんなしっかり仕事をしましょ」


「えー」


「鈴々!」


「鈴々ちゃん、これもご主人様のためよ」


「うー……、わかったのだ」


さすがにその言葉には弱いのか、先に歩き出していた愛紗たちに従い、渋々兵士の訓練へと向かう鈴々。
その姿に柔らかく微笑んだ後、己も仕事へと向かうため紫苑も足を動かしかけ、


「紫苑」


星の声に、足を止める。


「あら、星ちゃん。なにかしら?」


「単刀直入に聞くが、主の不調の理由はなんだ?」


「……どうして私に聞くのかしら?」


「軍議の席で主と目配せしていただろう。加えていまの話の中でも真っ先に心配しそうなお主が心配した様子も見せん。それくらい見抜けぬような趙子龍ではない」


「あらあら」


浮かべていた微笑に、困惑の色が灯る。


「その理由、話してもらってもよいか?」


「そうねぇ……」


紫苑は頬に手を添え考え込むこと数秒。


「いいわ、星ちゃんだからこそ隠しておきたかったんだけど、星ちゃんにならばれてもいいかもしれないわね」


今度は悪戯に微笑む。


「どういうことだ?」


「それじゃあ星ちゃん、今晩厨房に行ってみて」


「……厨房?」


「ふふ。行けばわかるわ」


「……ふむ?」


そう笑いかけると、訝しむ星を残して紫苑は玉座の間を後にした。






時限は深夜。
月以外に闇を照らすものがない中、星は一人、足取りも確かに厨房を目指す。
その顔には疑念。
紫苑の言う、なぜ厨房なのか、という疑問は解けることはなかった。が、


「行けばわかる、か」


同時に紫苑が嘘を言うとも思えず、ともかく言われた通り歩を進めていると、


「む」


目指す先、厨房の扉の下から、微かな明かりがもれていた。
しかし星は慌てず、扉越しに気配を探る。
扉の向こうからガサゴソ、トントン、という物音が聞こえるのを確認を終えると、星は扉に手をかけ、静かに開く。


「………」


何事か目の前の作業に集中している一刀に気付かれぬよう、星は気配を消して近づく。
そんな星を一刀が気付けるはずもなく。


「……ふう」


「主、何をしておられる」


「うわぁあ!?」


突然の背後から声をかけられ驚く一刀を尻目に、星は己が主の正面にあるものを覗き込む。


「これは」


「せ、星っ!? いや、これはそのだな、」


「……メンマ?」


「うっ」


そう、メンマ。
一刀が必死に隠そうとしたその先には、作りかけのメンマが並んでいた。


「主、これは一体どういうことです?」


「そ、それよりなんでこんなところに星がいるんだ!?」


「何故と言われましても、主の様子がおかしいので紫苑に聞いたところ、ここに来ればわかる、と」


「……紫苑〜」


「さて、主よ。訊ねられたことには答えました故、次は主の番ですぞ」


この場にはいない紫苑に向けて恨めしげな声を上げる一刀に対し、星は追求の手を緩めない。


「一体何を、いや、なぜこんなことをしておられる?」


星の問いに一刀は頭をかいた後、


「……この前、華琳の酒を飲んだろ?」


そう切り出した。


「そんなこともありましたな」


「その時こう言ったろ? 俺に会う前にこの酒を出されていたら華琳を主と呼んでいたかもしれない、って」


「ふむ、言いましたな」


と頷きながら、一刀の思惑を見透かした星は意地の悪い笑みを浮かべる。


「主、私は確か、いくら酒好きとはいえ、一度仕えた主への忠義を曲げるほどではない、と言ったはずですが?」


「う……」


「ふふっ、全く、心配性な方だ」


言いながら、星はテーブルの上のメンマを一つ摘み、口に運ぶ。


「………」


確かめるようにゆっくり噛み締める星を一刀は固唾を呑んで見守る。
やがてその時間も終わり、


「あのラーメン屋の店主に仕込み方法を聞き、紫苑に手伝ってもらった。間違いござらんか?」


「さすが星。で、その……、肝心の味のほうは?」


「まだまだですな」


「ぐぅ」


「塩抜きの時間が短すぎ、味付けは濃すぎる。筍の質は良いようですが、まだまだですな」


「さ、さすが星……」


己の腕前は自覚していたものの、その的確な指摘と歯に衣着せぬストレートな物言いに一刀はそう呟き肩を落とすが、


「そう気を落としめさるな」


そう言って再びメンマを摘む星に、顔を上げる。


「主、これを作り始めたのはいつ頃か?」


「えーと、この一週間くらいだけど」


「ふむ。それでこれなら気落ちすることはないと思いますが」


「そうなのか?」


「当然です。料理も武も同じ。一朝一夕に身に付くものではありませぬ。それに、」


「それに?」


星は同じ言葉を繰り返す主の顔をまっすぐ見据えて、


「主が私のために作ってくれたものを食べないわけがないではありませんか」


「……その割にはずいぶんと酷評してくれたようだけど」


「もちろんですとも。あの程度で満足してもらっては困るというものです」


「さすがに星は厳しいな」


「当然です」


そのやり取りに、二人は顔を見合わせ小さく笑う。


「それじゃ、星が認めてくれるよう努力するとするよ」


「それは嬉しゅうございますが、無理はなさいますな。愛紗たちがたいそう心配していましたぞ」


「……そうだな、今日はもう寝るよ。さすがに眠くてな」


「それでは、後片付けはやっておきましょう」


「悪いな、星」


「いえ……。それでは主、おやすみなさい」


「うん。おやすみ、星」


バタン、という扉が閉まる音。
星は主が厨房から出て行くのを見届けてから辺りを見回す。


「これでよいか」


そして小さな茶色い壷を手に取ると、テーブルの上に並んだメンマをその中へと収めていく。
ふと、窓に目をやる。
そこから覘くは朧月。
手には主秘蔵のメンマ。


「ふむ。今宵はよき酒が飲めそうだ」