「ふぃ〜。終わった。終わった。」
 執務室の机で山脈を形成していた憎き竹簡の束を片付けて俺はようやく一息ついた。
 肩を叩いて外を見てみれば太陽は中天に差し掛かっていた。朝一で政務に取り掛かった結果、
何とか、日中に仕事を片付けることができたようだ。よきかな、よきかな。
 本来ならば、愛紗か朱理あたりが起こしにくるまで惰眠をむさぼり、尻を叩かれながら政務に
取り掛かる俺が何故、自主的に政務に取り掛かったか?人の上に立つものとしての立場を自覚し、
みんなに範を示すため。ではもちろんない。 
「相互理解を深め合うのも俺の仕事だよな、うん」
 正当な理由を口にして窓からひらりと外に出る。扉から出ないのは愛紗と鉢合わせになるのが
怖いからでは決してない。泥棒手ぬぐいをほっかむりしたいのも気のせいだ。正義は我にあり。
心の中でつぶやいて、抜き足差し足で、可及的速やかに目的地へと向か…
「どちらへいかれるのですか。ご主人様?」
 ガシリと?まれる両肩。
 背中越しにかけられた声に俺は作戦の失敗を悟る。
「い、いやぁ。仕事がひと段落着いたんで、ちょっと休憩を…」
 優しく、されどずっしりとした圧力を肩に感じながら、俺は必死に言い募る。
 まだこの段階で降伏は早すぎる。最後の最後まであきらめてはいけない。
「そうですか。それは素晴らしいことです。流石はご主人様です」
 穏やかな声音と裏腹にギリギリと握力の増している両手の感触を感じながら、俺は恐る恐る後ろ
を振り返る。ああ、わかる。後ろにいる女の子はとっても優しい笑顔を浮かべているに違い
ない。けど、その笑顔の裏にはきっと…
 ああ、やっぱり般若がいらっしゃる。
「ご主人様…お話はお部屋で」
「はい…」
 ドナドナのBGMを背負いながら、俺は執務室に連行されていった。
 俺はどこで間違えたのだろう。
 やはり、窓からなどと姑息なことを考えず正面突破を試みればよかったのだろうか?
 ああ、もうすぐそこに執務室が迫ってきている。
 まるで囚人を歓迎する牢獄のように扉が開いて…
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『終劇』










「『終劇』ではありません!何ですかそれは!まるで私が人食い鬼のようではありませんか!」
「はい、すみません。悪ふざけが過ぎました。ごめんなさい愛紗さん!」
 執務室の床で正座中の俺を説教しておられる愛紗さん。でもその表情はやっぱり鬼に…
「ご主人様!!」
「な、なんでもありません。はい!」
 鬼の咆哮。条件反射的にぴしりと姿勢を正す。これ以上説教が長引いては俺のがんばりが水泡に帰し
てしまう。何とか、愛紗に機嫌を直してもらわねば。
 そんな俺の内心を知ってか知らずか、愛紗の説教にますます熱が入っていく。
「そもそも、執務が片付いて休憩に出るのであれば、扉から堂々と出ればよいのです!それなのに、
まるで盗人のように、窓から出入りするから身にやましいことがあると疑われるのです!聞いておられ
るのですか!それに、ご主人様は最近執務を放り出しては、ほかの女性のところへばかり出かけてしま
われる。少しは私のことも構って…オホン!失礼。とにかく、ご主人様は上に立つものとしての自覚が
少々足りません。ちょうどよい機会です。今日はご主人様に上に立つものとしての心構えを…」
 !?い、いけない。このままいくと今日は愛紗と帝王学の講義になってしまいそうだ。愛紗と二人っ
きりならそれもそれでいいかな〜。などと思ったりもするが、今日はまずい、先約がある。破ったら何
されるかわからんし。なんとかしなければ。
「あ、あのさぁ。愛紗」
「何ですかご主人様!」
 ギロリと睨まれる。う、こ、怖いんですけど。
「お、俺に上に立つものとしての自覚が足らなかったって言うのは認める。けど、俺は仕事をサボった
わけじゃないぞ。今日の執務は全部片付けているし!」
「確かに、それはその通りです。ですが、それならば何故窓から抜け出るようなことをしたのですか?
先ほども言いましたが、身にやましいことがなければ、扉から出ればよいではありませんか」
 やっぱりそこを追求してきますか。ああ、愛紗の言うとおり扉から出ればよかったなぁ。と、思うが
後の祭り。後悔は先には立ってくれません。
「いや、ちょっとした気分転換のつもりだったんだよ。こう、窓から出てみたかったって言うか」
「ほほう」
 怒りの形相こそ収めはしたものの、今度は疑わしげな視線をよこしてくる。うう、信用ないなぁ。
「と、とにかく俺はやましいことはしていないぞ。疑うんなら一緒に来ればいいぞ。ほら」
「え、あ、ご、ご主人様」
 このままでは埒が明かない。俺は強引に愛紗の手をとると歩き出した。う〜ん、この勢いが最初から
あればなぁ。







「ほら。ここだよ」
「あら、やっと来たのね。もう全員集まっているわよ」
 ところ変わってここは中庭。到着した俺たちを出迎えたのは、いかにも待ちくたびれたといった感じ
の華琳達だった。
「な、曹操。それに、孫権?」
 愛紗が驚きの声を上げる。無理もないかもしれない。なんといっても魏と呉の王が揃っているのだか
ら。ちなみに、手はもう繋いでません。恥ずかしがって離されてしまいました。
「どうした、関羽。何を驚いている?」
 華琳達がいるということは、その側近達もいるということで中庭は華琳、蓮華ほか、春蘭、秋蘭、
甘寧、穏といった、そうそうたる顔ぶれが揃っているわけで。
 目を見開いてその顔ぶれを眺めた後、説明を求めるように愛紗は俺のほうに向き直った。
「あ〜。うん、驚いてると思うけど、これも相互理解を深めようと思ってやってることなんだよ。
魏と呉の人達は互いに付き合いがあんまりなかったからさ、一緒に遊ぶなりなんなりして、お互いの距
離を縮められないかなってさ」
「遊びですか?」
「そう、これを使ってね」
 そう言って俺が懐から取り出したのは、プラスチックのケースに収まった53枚カード。トランプだ。
元の世界から飛ばされたとき、偶然懐に入っていたもの。それが、今、魏と呉の関係深めるための役に
立っているというわけだ。
「なんですか?それは?」
 案の定、愛紗が怪訝な顔で聞いてくる。
「これは、俺のいた世界にあったものでトランプっていうんだ。53枚のカードを使っていろいろな遊び
ができるんだよ」
「はあ、天界の遊具なのですか。ふむ」
 俺が手渡したトランプを手に取りしげしげと眺める愛紗。それを横目にして俺は華琳達に向き直る。
「遅れて悪かった。ちょっと、仕事が片付かなかったんだよ」
「仕方ないわ。北郷はもう、大陸のほとんどを治めているんだもの、仕事が多くて当たり前よ」
 謝った俺に、華蓮が優しく声をかけてくれる。それだけでも、朝一から仕事を頑張った甲斐があった
というもんだよ。
「ありがとう、蓮華。遅れたこともあるし、早速やろうか?愛紗もやるだろ?」
「え、あ、その私は…」
「固いこと言わない。ほら席について、ルールを説明するから。愛紗は今日が初めてだから簡単なゲーム
にしよう」
 トランプを物珍しげに触ったりひっくり返していた愛紗を席につかせて、俺はトランプを切り始める。
それと同時にほかの面々も席についたり、参加者の後ろに控えたりと動き始める。このあたりの順番決め
は慣れたものだった。
「そうだなぁ。今日はババ抜きにしようか」
「ばばぬきですか?」
「そう、みんなでカードを一枚ずつ引き合って、同じ数字のカードを捨てていくんだ。それで最後にジョ
ーカー。つまりこのカードを持っていた人の負け。簡単なゲームだよ」
「む、なるほど」
 愛紗は真剣な顔でルールを聞いている。説明しながらも俺はカードを配っていく。
 最初は俺と愛紗と華琳と蓮華。それぞれが、同じ数字のカードを捨てて準備完了。
「じゃ、やってみようか。こういうのは習うより慣れろだ。はい、愛紗一枚引いて」
「え、あ、しょ、少々お待ちを」
 まだ、カードを整理しきれていなかったらしく慌てる愛紗を見て、華琳がクスリと笑う。それには
どうも気づかなかったらしく、カードを整理し切ると愛紗は俺の手札から、一枚カードを引いた。
そんな感じで、昼下がりのトランプ大会は始まったのであった。








「しかし、今日は楽しかったな」
「そうですね。なかなかに楽しいものでした」
 そろそろ夕方にさしかかろうという時間でトランプ大会はお開きとなった。結果は華琳の優勝。
あの後、いくつかのゲームをやったが、そのほとんどで、華琳は一位を独占してしまった。
「やっぱり、華琳は駆け引きとかに強いな〜」
 一番、トランプ暦の長かった自分としてはちょっと悔しい。
「いえ、ご主人様も善戦しておられました」
 そんな俺に愛紗がフォローを入れてくれる。穏やかな愛紗の表情を見ながら俺は口を開いた。
「どうだい、今日はみんな結構和気藹々とやっていただろ」
「はい。最初は敵として相対していた間柄だというのに、流石はご主人様です」
「ん、まあそんな大したものじゃないよ。最初は単なる思い付きだったし」
 そう、単なる思い付きだったんだ。一緒にトランプで切る相手はいないかな〜。と思って相手を
探していたら、華琳と蓮華が興味を持ってくれて、これは互いが仲良くなるのにちょうどいい機会
なんじゃないかと実行してみたら結構うまくいって。
「それでも、お見事です。その二人に興味を持たせられたのもご主人様の人徳によるものでしょう。
私ではこうまでうまくいかないでしょう」
 そういった愛紗の笑顔を見ているのがなんだか照れくさくて、視線を前に戻す。
 愛紗にお説教もされたけれど、結果としていえば、今日のトランプ大会では愛紗もほかの面々と
打ち解けたような感じだった。
「今日のことは、結果オーライってとこかな」
「けっかおーらい?天界の言葉ですか?」
「そ」
 怪訝な表情を浮かべる愛紗に笑いかけて、俺は自分の部屋へと向かう。今自分は満足げな表情を
浮かべているだろう。
 うん、なんだかんだで今日は良い一日だった。





 終