政務の手を休めて外の空気を吸いに出る。
 ……いや、別にサボってるわけじゃない。今日は朝からずっと机にかじりついて仕事ばかりしてたから、そろそろ休憩しないと逆に能率が落ちるんだよ、うん。
 それに、ついこの間までかなり寒かったのに、最近は大分日差しも柔らかく暖かくなってきた。こんな日に一日中屋根の下にいたんじゃ太陽に申し訳ないというものだ。
 愛紗や朱里あたりが聞いたらシブい顔をするかもしれないけど、わかってくれ。俺も万能じゃないんだ。

 気の向くままに足を向けて城の庭を歩いていると、いつの間にかちょっとした森の中に入っていた。一応、木の隙間からかろうじて城の建物は見えるから迷うことは無いだろうけど、割と長くいるこの城の中でもこのあたりは見たことが無い。
というか森まであるのかこの城。さすが、大陸は違う。
まあいいや、ちょっとくらい探検してみたって罰は当たらないだろう。
 そうやって、程よく茂った木々の間からこぼれる日差しを心地良く思いながら歩いていると、ふいに視界が開けた。
 
だいたい円形に木が生えていない、ちょっとした広場のようになっている所に出たらしい。
そこには、中心に一本の木があった。
その木の高さは特別高いわけでもないので、遠くから見れば周りの木と区別がつかないだろう。
他の木々は青々と葉をつけているのに、その木だけは一枚も葉をつけることも無く、ただ裸の枝を晒していることが一番特徴的といえる。
枝ぶりは見事だけど、この城には見られることを意識して作られた庭園のような場所もある。そこに植えられた樹木には、園芸に詳しく無い俺でも見惚れるほど綺麗なものもあるから、それに及ぶほどじゃない。
ただ不思議なことに、この小さな森自体が、この木一本を守るために存在しているような、そんな気がした。
 
そして、何故だろう。とても懐かしい感じがした……。

一刀「っていうことがあったんだ」
愛紗「言い訳の最初がそれですか……。まあ、政務はちゃんと済んでいるようなのでよろしいですが、程々にしてくださいよ?」
一刀「ハイ、気をつけますです」

 と、散歩から戻ってすぐ、ちょうど俺の部屋に新しい仕事を持って来た愛紗に捕まった。で、今は半眼の愛紗に睨まれながら絶賛言い訳中。

愛紗「ですが、その木はひょっとすると『咲かずの木』なのかもしれませんね」
一刀「あれ、愛紗知ってるの?」
愛紗「いえ、そういうわけではありませんが、私の部隊の兵に私たちより前からこの城にいた兵がいまして。その者が言っていたのです。この城には長く花をつけていない木があると」

 その兵の話によると、その木も昔は春になれば他の木と同じように花を咲かせていたが、大陸が戦乱に包まれだした頃、急に全ての葉を散らしてしまったのだという。まるで、戦火に涙をこぼすように。
以来、その木は何度春が巡っても、花をつけることはなかった。
 なので今ではその花を見たというものはほとんどいないけれど、その花の咲き様は伝えられている。もし満開に咲けば美しい花を枝一杯に咲かせ、世界が桃色に染まるようだ、と。

愛紗「しかし、所詮は噂に過ぎません。確かにこの戦乱の悲惨さは木々も憂えることでしょうが、花といえるほどの花をつけない木などいくらでもあるのですから、それにこじつけたのではないかと」
一刀「ああ、そうだな……」

 愛紗はそう言っていたけれど、俺はあの木が無性に気になっていた。空を包み込むように広がった枝と、ごつごつした木肌。
 それ以来、日に日に暖かくなる風の温度と共に、あの木に感じる正体不明の懐かしさは増すばかりだった。


 ―――数日後。
 今日も今日とて政務の合間の散歩に出る俺。最近は国同士の情勢も一応安定しているし、国内でも大きな事件は起きていない。
でも、そうなればその分緊急時には出来ないような細かい仕事も回ってくるので、実感としての仕事量は変わっていないように思える。
一国の主というのも楽じゃない。王様といえばいつも玉座の間にいるようなイメージしかなかったけど、実際になってみるとそうやって何もしないでいる時間なんてほとんどない気がする。

そんなワケだから、ほんのちょっと位の散歩は許してくれ愛紗。
と、いつもどおりの言い訳を心の中で呟いてぶらぶら歩く。
最近は普通に散歩をしているつもりでも、ついつい足が例の咲かずの木のあたりに向かってしまう。やっぱりどうしても気になるらしい。もし万が一咲いていたらと思うと、いても立ってもいられないんだ。
まあ、実際にはそのたびに葉っぱ一枚無い木がそびえているだけなんだけど。


だからその姿を見たとき、しばらく言葉が出なかった。


一刀「…………っ」

正直、信じられるか? 昨日まで全く変わりなかったこの木が今日、まるで初めからそうであったかのように、満開に咲いているんだから。
枝一杯に咲いているのは、薄紅色の五枚の花弁をつけた小さな花。わずかな風に揺られてざわざわと鳴る緑の森の中で、その木は一際華やかに咲き誇っていた。

なるほど、どうりで懐かしいはずだ。

星「おや、これは美しい……」

 花に見惚れて呆けていたら、不意に隣から声が聞こえた。振り向くと、そこにはいつの間にか星が立っていた。

一刀「星、お前一体いつの間に」
星「いえ、主がふらふらと歩いてるのが見えたもので、こっそりとつけてみました。……ふむ、今日は朝からなにやら空気がかぐわしいとも思っておりましたが、成程、この花の香りでしたか」

 そう言って、星も木を見上げる。満開の花びらは光を反射して、まるでその木自体が輝いているようだった。

星「ふむ、主。せっかくです。この花を肴に一杯いかがです?」
一刀「そうだな」
星「……お?」
一刀「どうしたんだ、変な顔して」
星「いえ、流石に形の上だけでも反対されるかと思っていたので、少々拍子抜けしたのです」
一刀「形の上だけってことは、結局昼間から酒飲むだろうとは思ってたのか」
星「無論。この花の名は存じませんが、私の主はコレほどまでに雅な花を見て……」
一刀「さくら」
星「は? さくら……とは?」
一刀「この花の……というかこの木の名前だ。この花が咲いたら、その木の下で宴をするのが俺のいた国の風習なんだ」
星「……なるほど、さすが天の世界。粋な慣わしを持っている。では、早速皆を集めましょう」
一刀「ああ、朱里と愛紗に土下座してでも、花見をしよう」
星「花見、良い響きです。では、私は鈴々や翠と共に酒と肴を用意します。他の者達にも声をかけてきますので、二人の説得は任せました」
一刀「ん、よろしく」
星「では、のちほど」

 この時代の中国の、しかもこのあたりに桜があったのかどうかは知らないし、そもそもこの木自体桜かどうかはっきりしない。ソメイヨシノにしか見えないけど、この時代にあったはずが無い。
でも、せっかく綺麗な花が咲いたんだ。皆で祝わなきゃ、損だろう?

鈴々「うはぁー、昼間から飲むお酒おいしいのだー!」
翠「うおっ、これ美味い! 流石だな、朱里」
朱里「あ、ありがとうございます。でも、お花を見るのが目的なんじゃ……」

璃々「すっごーい! きれーい!」
紫苑「ほらほら璃々、あんまり走り回ると転ぶから、気をつけなさい」
星「ふふっ、よいではないか。確かにこの美しさには心が騒ぐ」
貂蝉「そうよぉ、こんなに綺麗なんだもの。あたしだってついついはしゃぎたくなっちゃうわん」

恋「はむっ、もぐもぐもぐもぐ……」
月「あ、あの……そんなに食べてばかりいたら、お腹に悪いんじゃ……」
詠「いーのよ、月。どうせ恋なんてあたしたちの陣営にいた頃からそうだったじゃない。それより、これおいしいわよ。ホラ、月。あーん」


 皆、思い思いに楽しんでくれているらしい。一部完全に花より団子なのは予想できたことだ。
 全員に声をかければこれだけの大所帯だということには改めて驚いたけど、まあ賑やかな方が楽しいし、このくらい騒がしい方が花見らしい。

 なので、俺はこっちに集中しよう。

一刀「ほら、愛紗も一献」
愛紗「いただきます。……はあ」
一刀「なんだ、溜息なんかついて。この酒、結構いいヤツだぞ?」

 ご機嫌取りに酌をしても、不満そうな愛紗。ちなみに、注いでいるのはほかの皆が飲んでいるのと比べるとかなりアルコールの弱い愛紗用。

愛紗「そうではありませんっ。いかに今は外からの危険が少ないとは言え、いまだ戦乱の世の中だというのに、いきなり宴会を開きたいだなどと……。いくらご主人様でも、少し暢気すぎるのではありませんか?」

 うう、愛紗の絶対零度の視線が痛い。だが愛紗の言うとおりこんな時期に無理を言ったんだから、それは甘んじて受け止めなければならないのだ。

一刀「うん、ゴメン。でも……」
愛紗「でも、なんです?」

一刀「凄く、懐かしかったから」

 桜を見上げて言う。少し強くなってきた風に、周りの木々がざわりと鳴った。

愛紗「……懐かしい、ですか?」
一刀「うん。桜っていう木は、このあたりでは珍しいみたいだけど、俺のいた国にはたくさんあったんだ。だから、ちょっと思い出してね」
愛紗「ご主人様……」

 言ってしまってから、愛紗が不安げな瞳で俺を見ているのに気がついた。

一刀「それでつい、ね。悪いとは思ってるけど、明日からまた頑張るから今日のところは許してくれ」
愛紗「……はい。故郷を懐かしむ気持ちは、私にもわかります」

 そうだった。愛紗だって、この世界の住人とはいえ、故郷から遠く離れて戦いの中で生きているんだ。俺と同じように、いや、ひょっとすると俺以上に、故郷に対する想いは強いだろう。
 愛紗だけじゃない。鈴々、朱里、星、翠、紫苑。月や詠、恋だって、みんな故郷から遠く離れていることは変わりない。

愛紗「ご主人様?」

 呼ばれて我に返ると、愛紗が今度は怪訝な顔でこちらを見ていた。
 俺は急に恥ずかしくなって、話題をそらす。

一刀「それにしても、この桜、どうして今年は急に咲いたんだろうな」
愛紗「そうですね……。ひょっとすると、ご主人様がいらっしゃるからではないでしょうか」
一刀「え……?」

 答えを期待したわけではない問いだったのに、愛紗ははっきりと答えた。

一刀「それはまた、どうして?」
愛紗「この木が最後に花をつけたのはかなり昔のことで、今はもうその様を知るものはいないと言います。ですが、ご主人様はこの花を知っていらっしゃいました。だから、きっと見てもらいたかったんですよ。自分のことを知ってくれている、あなたに」
一刀「……そうかな」
愛紗「ええ。それに、ご主人様ならきっとこの乱世を収めてくれる。そうも、思っているのではないでしょうか」

 かつて戦乱に嘆き枯れ果てたこの木が、俺のいる今再び咲いてくれた。それには、意味があるのだろうか。

 そのとき、一際強い風が吹いた。


 ブワァッ


鈴々「わー……」
朱里「すごいです……」
星「これは、見事」

 桜の木が風に揺られ、花びらがいっせいに空へと舞い上がった。世界を桃色に染め上げるかのように視界を埋め尽くす桜吹雪に、そこにいる全員が空を見上げる。
 太陽から降り注ぐ春の光の中、元の世界では見たことも無いほどに綺麗な青い空を、見慣れた桜の花びらが飛んでゆく。

一刀「愛紗」
愛紗「は、はい。なんですか、ご主人様?」
一刀「平和に、しような」
愛紗「……ええ、もちろん」

 この戦乱の世を鎮める決意を新たにして、もう一度桜を見上げた。
風に揺れる桜の木に杯を掲げて、誓いに代える。

 最後にもう一度ざわりと揺れた姿は、桜が頷いてくれたように見えた。